成功本で成功できる人は一握りであることについて(その5)

日本人は何故争いを避けるのか

それは歴史が教えてくれます。

争う事によって勝者と敗者が生まれます。昔から負けることを日本では「恥」と捉えます

「恥をかかされるくらいなら死んだほうがマシだ」「生き恥を晒すくらいなら死を選ぶ」

などというセリフは、日本人になじみのあるものでしょう

古来より日本人にとって一番の屈辱は「恥」をかかされる事なのです

武士は恥をかくと切腹します。恥の汚名を返上するには死ぬしかないのです

いささか極端なような気もしますが、「恥」に対して日本人共通の価値観はそうでしょう

最も現在においては「恥を知る」人間の数は減ってきていますが。

日本人はスポーツで負けると「応援してくれた人たちに申し訳ない」と言います

自分の力が及ばなかった、期待にこたえられなかったと自分を責める傾向があります

良い悪いに関わらず、そう言いたくなる気持ちは日本人であれば理解できると思います

一方、アメリカでは「力に勝るチームが勝った」というのが敗者の弁にふさわしいとされています

相手の実力を素直に賞賛します

欧米諸国では負ける事を恥とはせず実力のあるものが勝つのは当然と捉えます

ですからそこには「負けて申し訳ない」という言葉は出てきません

このような文化の違い、価値観の相違があるのです

欧米諸国では負けた事を「恥」とする価値観はないのです

しかし、日本は違います

負ける事を恥と捉えてしまうので敗者は勝者に向かって恨みや怨念を生じさせるのです

恨みや怨念は災いをもたらすとの考えからできるだけ恨みや怨念を生み出さない方向、

つまり和を持って話し合いで解決せよといった方法が一番良いとされてきたのです

日本人にはその精神が長い年月を経て私達のDNAに刷り込まれてきたのです

学問の神様として有名な菅原道真は、今から約千百年前に無実の罪を着せられこの世を去りました

その後道真公は怨霊となって自分に罪を着せた人間を次々に殺し、人々から非常に恐れられました

大鏡などの歴史書や今昔物語などの説話集などには恨みを抱いて亡くなった人間は

「鬼、怨霊」となるとはっきり書かれています

それが事実であるだとかないだとかではなく、

当時の日本人は恨みを抱いて死んでしまった人間の魂は鬼や怨霊となって祟りをなすと恐れていたのです

当時の人たちは怨霊に取り殺されないようにするため、

怨霊から身を守るために「人を怨霊にしないように」気をつけてきたに違いありません

それには恥をかかせないこと、

つまり、競争で勝者と敗者をはっきりさせないことを生活の基本としてきた事が想像できます

その思想は民族に共通する思想となり現在においても私達の中に生きているのです

鬼になる、ならないは別として私達はこの昔話に違和感は覚えないのではないでしょうか

道真公を学問の神として参拝する人が絶えないのはその証拠だといえるでしょう